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1927年ベルリンに生まれる。やがてハンブルグに移住し1947年ハンブルグ州立美術学校に入学、ヴィリ・ティッツ及びヴィレム・グリムのもとで油絵及び版画の指導を受けた。1951年ドイツ国奨学講座をもち、60年まで母校で版画技術担当の教授を務め、60年から63年迄パリに滞在、1964年カッセルのドクメンタに選抜招待された。その間ドイツ国内を中心に個展やグループ展で精力的に活躍。パリ在中もフランスでは発表しなかった。この事に関連して彼は「自分には常に刺激が必要だ。そのためにパリに行ってみたが、あそこはやはり中央ヨーロッパの人々が持つ特有の色彩と線から構成されたものが多く、同調できない。やはりドイツが生んだ芸術の中にあって刺激され、自分の感情を表現する以外ない」とのべている。彼の幻想画は、たとえば女体を題材にその一部をふくらませたりする加虐的エロティシズムであり、ダダの血がその底にながれていることを否定することわできないが、その人体に寄せる解剖学的関心には彼が敬愛するドイツが生んだ版画の巨匠デゥーラーに寄せる尊敬の念が同時に込められている。したがって彼の彎曲された人間達はもっぱら諷刺や比喩の材料として非情な犠牲になっているのではなく、人間主義的視点からも同時にながめられているところに、その特徴があるといえよう。1963年以降ハんブルグ美術学校で教授をしている。各種美術展での受賞も多数。、。
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