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1852(嘉永5)〜1918(大正7)
江戸に生まれる。本名は良助、菊池容斎の門で絵を学び始めたが、容斎の師風墨守を嫌う教育により、独自の道を模索し、画風を形成していった。
明治11年パリ万博で受賞。同年渡仏、3年間フランスに滞在して勉学した。日本画家としては最初の洋行留学者と言われている。帰国後花鳥画を多く描き春陽堂『美術世界』では編集者として当代一流の彫師五島徳次郎、摺師吉田市松を要して、美術品として格調高い木版画集を作り上げた、その大胆、豪快な常識の枠を超えた木版画はヨーロッパに輸出され、西洋の多くの画家がその構図を学んだ。
代表作に「四季花鳥図」明治24年 ポーランド・クラクフ国立美術館所蔵。「雪中群鶏」東京国立博物館所蔵がある。絵画、木版画共国外の美術館、コレクターが所蔵し、日本に残存するものは少ない。竹内棲鳳、小原古邨と共に明治後期の日本を代表する優れた絵師である。
岡倉天心から日本美術院の招聘と言う最高の待遇を受けたが断り自分の道を行くことを大切にした画家であった。
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