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文化〜文政期に活躍。勝川春英につき勝川春扇と改名文政3年(1820年)の春頃二代春好を継ぐが、
まもなく版下絵を止める。初筆としてわ文化2年(1805年)中村座顔見世「清和源氏二代将」
よりとった「三世坂東三津五郎のわたなべの綱と初世市川男女蔵の相馬の良門」を揚げる。
文化5年より百点を越す合巻、その他の挿絵を手がけるが、文政8年に建てられた「勝川春英翁略伝」
碑に名が無いところから、それ以前に没したものと思われる。
俗称清治郎。可笑斎、登龍斎等と号し、住居は「始め麹坂町貝坂、後に芝仲門前町、又神明町へ移る」
と前記随筆にある。
シーボルトが在日中(文政6年〜12年)春扇の錦絵を多数収集している。
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