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弘化4年(1847)幕府の御蔵役人の末子として江戸本所に生まれる。幕末の動乱にあい、諸国を流浪する生活を強いられたが、この間に絵心を育て明治初めに東京に戻ってから、洋画家のワワーグマンヤ日本画家の河鍋暁斎、柴田是真などに学んだ。やがて錦絵の版元大黒屋平吉に認められて、明治9年より「光線画」という名称で風景版画を刊行することになり、間もなく一家をなして歴史画や新聞雑誌の挿絵にも手をそめていった。大正4年没。門弟に井上安治、田口米作などがいる。伝統的な浮世絵木版の技法に基ずきながらも、石版や銅版の効果もとりいれて、光と影の表現に意を注ぎ、明るい近代感覚を示すのに成功した。それだけに夕景や夜景、あるいは暁景、火事場の景など、光をテーマとしたものが多い。ということはまた一方において印象派を連想させるものでもあろう。
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