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パリ近郊メーゾン・ラフィットの裕福な家庭に生まれる。17歳で発表した詩集《アラディンのランプ》によって文壇に登場した早熟の詩人であるが、一方《大股びらき》(1923)や《恐るべき子供たち》(1929)で知られる小説家であり、《雄鶏とアルルカン》(1918)の音楽評論家であり、《エッフェル塔の花嫁》(1924)の劇作家であり、《詩人の血》(1930)や《美女と野獣》(1946)の映画作家であり、文明批評家、演出家、バレー作家、そして特異なデッサン画家でもあるという、当代一流の才人であった。第一次大戦後パリのダダ運動に参加。サティやアボニネールらと交友しモダニズムの旗手として活躍し、コラージュ《画鋲の頭》(1920)などを制作。以降もキュビスムやシュルレアリスムに関わるなど、その文芸活動は自在な変貌を重ねたが、その基底には、むしろ古典的な美的秩序を喚起することにとって美神に殉じようという意志が潜んでいる。1936年世界周遊の途中日本にも滞在。1955年アカデミー・フランセーズの会員に選ばれた。
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