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富裕なユダヤ系古物商を父にウィーンに生まれるが、8歳の時ナチスが侵攻、親族.縁者の多くが監禁・虐殺される体験をもつ。13歳で彫刻を学ぶが、翌年絵画に転じ終戦とともにウィーン美術アカデミーに入学。ここでのちの〈幻想的レアリズムのウィーン派〉の育ての親、ギュータースロー教授に師事し(1946〜50)、ウッチェロら15世紀のルネッサンス絵画やマニエリスムを研究、すでに精緻な細密技法をマスターして神童と謳われる。やがて彼は「間近いカタストローフを分析する人、錬金術師や魔術師を思わせる密房内の制作者」(プリオン)と評され、古色蒼然たる旧式の幻想世界を今日の頽廃した世界像と重ね合わせる「悪魔的作風」が注目を集める。1958年ウィーンにフックス画廊を設立(〜67)、1965〜66年には東京、銀座の青木画廊で個展を開き、エロスとタナトスの交錯する悲劇的な調と精確無比の技巧が話題を集めた。1969年サンパウロ.ビエンナーレで受賞。いわゆるウィーン幻想派の旗頭として、ウィーンに健在である。
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