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天明7年(1787)〜慶応3年(1867)
江戸市谷に生まれる。姓は菊川、名は俊信、通称万五郎、重九斎と号す。
父より英山は画技を学び、のち鈴木南嶺に入門す。
文化元年(1804)18歳の頃浮世絵画壇に登場、歌麿に模して美人画を多く描く。
歌麿没後、一躍美人画家として名をなし、独自の画風を確立、役者絵の豊国と
並び称される。豊国とは親交があり兄弟のごとき交友を続けた。文政末期に画壇
の流行よりはずれ、版下絵を断念す。文久2年(1862)江戸を離れ、娘の嫁ぎ先で
ある群馬県藤岡町に移る。この地に若干の作を残す。
門人に英泉・、英章・英信・英蝶などがいるが、英泉が最も優れている。
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